ここ最近のぼくとのおしゃべりはものすごく頭を使う。
伝えたい!の気持ちが目一杯つまった渾身の「○+×=☆→*!」。母音の並びと、前後の出来事、手にしているおもちゃ、ハマっている歌etc……。これしかない。「○○だよね?」と返す母。「ぶっぶー!」と言いながらまんまるきらきらの目で「わかるでしょ?」と言いたげにこちらを覗き込み、なかなか答えを導き出せない母にもどかしくなり、悲しくなり、怒りたくなり、次第に顔を歪め口をへの字にしながら泣き出すぼく。
すんなり通じることもあるけれど、まだまだうまくいかない場面も多い。聞き手がいないと言語習得って成立しないものなのね、と気付かされると同時に、ズボンも一人で履ききれないような小さな子どものチャレンジ精神と吸収力に日々感動を覚える。泣く→受け止める、以外のコミュニケーションが成立しつつあることが心底嬉しいし、ぼくには世界はこんな風に見えて聞こえているんだよ!というのをシェアしてもらえるのってとても新鮮でとても楽しい。あれもこれも見えていて、あれもこれも理解していたのね、と。「それわかるの!?すごいね!!」という具合に、毎日親バカ炸裂である。言葉のコミュニケーションって偉大だわ。
そうそう、ただ今絶賛イヤイヤ期。「あいや」が「いや」になり、すごくイヤなときは「いーや!」と言うようになった。朝目覚めて目が合うなり「あっこたい(抱っこで下に降りたい)」。オットが「パパが抱っこするよ」と手を伸ばすと「いーや!」。むむむむ。
噂に違わず、機嫌が悪いと何を聞いても「いや」と返されるし、要求が通らないと床に大の字になるし、一丁前にムッとした表情もするようになった(どこで覚えたんだ?)。大きくなったな、成長だな、愛しいな、と写真を見返すだけならば穏やかな気持ちでいられるけれど、余裕がないとため息をつきたくなってしまうし、ママもイヤだ!と返したくなってしまうので、まだまだこちらも修行中。子育てって子に育てられる部分も大いにあるよなと感じる今日この頃。
イヤイヤと並行して、「あれなに?」「これなに?」も始まっており、そのうち「なんで?」「どうして?」が始まる予感がしている。成長を喜ぶ気持ちと、あっという間に「できない」をクリアしていく姿にさみしくなる気持ちでごちゃごちゃで、どんなに覚えていたいと願ってもきっと忘れてしまうから記憶だけじゃなくて記録に残すことも大事にしたいよねと改めて思う。