この世界の片隅に

 今の気持ちを文字にして記録しておくことに意味はないかもしれない。誰かを悲しませるかもしれない。ただ、未来に残された人の可能性になるのであれば、残しておくのも悪くないと思った。

 サピエンス全史だっただろうか、ホモサピエンスが獲得した特徴的な能力にフィクションを創造し、共有して集団行動を行うというものがあるらしい。確かに人類は嘘か本当かは関係ない虚実によって、倫理やイデオロギー、宗教などが生み、1万人を超える集団を作ることができている。僕もその中の一員として、今日も子どもとマクドナルドを食べた。

 何の意味があるのか説明困難なほど巨大な建築物を何世代と何百年とかけて建築することができる人類の可能性を僕は信じている。建て始めた頃の理由なんて、本当は誰も覚えていないかもしれないが、都度新しい虚実を共有して、いつの間にか完成させ、今の世界では観光地として成立している。僕が日々しているほとんどのことも1000年後には本当の理由なんて誰も分からないし、意味もないけど、今僕がしていることは1000年後の人類の可能性の1つだろう。そう思うと本当に嬉しい。これはサピエンス冥利に尽きるというやつだ。

 僕は明日、この世界からひっそりと消えてしまっても人類の可能性に貢献できたという自己満足とともに去るだろう。1日は別れを悲しんでほしい。だが、引きづらないでほしい。なんて我儘だろう。まるで卒業式のように思ってほしい。これが最後の登校かと物思いにふけり、少し緊張した様子で卒業証書を受け取る、安堵と別れの悲しみから式後の教室で涙が流れるかもしれない、だが、家に帰り、翌日には次の世界への期待感、可能性に胸を膨らませている。そこに哀れみや惨めさはない。不安はあるかもしれないが、それは新しい世界の期待の裏返しだろう。僕はどうなろうと、日々全力で可能性を信じて、最善を選んでいる。

 世界の悲しみが少しでも減りますように。