夢とは人生なのかもしれない。

10年関わってきた仕事(?)が終わりました。
この時の気持ちをざっくばらんに書き連ねておきましょう。エモい話です。

“素晴らしい仕事をご一緒させて頂いて、ありがとうございました。”
“この仕事はお互いの人生で大きなものになるでしょう。”

この仕事で関わった方の言葉です。かたい握手を交わしました。
仕事中は苦手で、あまり関わりたくない方で、気づくと会社を去っていました。
10年の中には多くの出会いと別れがあり、それら全てが私の人生を決めてきたように感じます。

子どもの頃の夢を仕事にしています。
仕事の内容を10人に話せば、10人が夢のある仕事ですねと答えます。
今の仕事に携わるために多くの努力をしましたが、特別な努力ではないと感じます。

”努力できることが才能”とよく言います。人生の最後に振り返れば、そのように総括されるのかもしれませんが、努力や才能が人生とは思いません。
小学校:家族で尋ねた科学館、中学受験。
中学 :読んだ小説、漫画、ニュース、定期試験の英語の点数が低く流した涙。
高校 :朝から晩までいた塾。
大学 :たまたま入ったサークル、途中で研究室に帰ったTsumaとのクリスマス。
書ききれない記憶にも残っていない全てのことが私の人生です。

”夢は叶う!”と松岡修造は言っていました。
高校の校長は”切に思うことは、必ず遂ぐるなり”と道元の言葉を書いた色紙をくれました。
客観的に今、私は夢が叶った状態と思いますが、実感はありません。
この10年、ずっと夢の中であり、この先も夢の中だと思うのです。
とすると、夢とは人生なのかもしれません。

今はお給料をもらって働いているこの仕事ですが、世間でいう仕事という感覚はありません。
最近、会社で”あなたが働くことの社会的な目的は何ですか?”と聞かれました。
そもそも仕事とも思っていないことの社会的な目的を問われ、困惑しました。
働くことに社会的な目的が必要でしょうか。やりたいことに自分の人生を燃やしているだけで目的はありません。かっこよくいうと使命でしょうか。
誰かのためではなく、自己満足なのですが。。。

この10年、一つの夢の中を歩いてきました。
今後、この夢が大きく変わることがあるのでしょうか。わかりません。
100年もあるのであれば、変わることもあるでしょう。
明日終わることもあるかもしれませんが、これが私の人生/夢だったと胸を張れるでしょう。

“夜空を見上げれば、そこにある。それがこの仕事の最大の成果であり、未来に続く多くの希望となるでしょう。”