なぜ僕は燃え尽きたのか

 ”なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか-バーンアウト文化を終わらせるためにできること-”を
読んだ。この本を手に取ったのは、一年前、仕事で大きな節目があった数日後、SNSで見かけたことがきっかけだった。当時は大きな節目でやりきったなぁ、これは燃え尽き症候群だなぁと思っていた。このような経験は過去を振り返れば、大学受験後、サークルの引退や研究室の大きな実験、幾つもあった。次の新しい一歩に対する期待と不安で何も手がつかない。1年前にこの本を読んだ時は、これを燃え尽き症候群だと思っていた。

 当時は前半の1/4を読んだところで、つまらなくて止めてしまった。当時は燃え尽きていなかったのだ。だが今、僕はこの本が書いている通りの燃え尽き症候群、すなわち、バーンアウトしている。そして、バーンアウトも初めてではない。数年前、会社を1週間休んだ時も僕はバーンアウトしていたのだ。

 バーンアウトとは何か。を語れるほど、まだ正確には理解できていない。本書ではバーンアウトは理想と現実のギャップが原因であり、情緒的消耗感、脱人格化、個人的達成感の低下の3つの側面があるとしている。
 情緒的消耗感とは、心身が擦り減って疲弊していることと理解した。理想と現実にギャップがありながらもなんとか、現実を理想に近づけようとして、働きすぎてしまう。一般的に、これ自体がバーンアウトと思われるが、これは1つの側面である。仕事において理想を追い求めて消耗することが美徳される節もあり、多くの人が感じていると思う。
 脱人格化とは、仕事上の人間に敬意を払わなくなり、皮肉を言うようになることである。これは理想と現実のギャップから、理想を捨て、妥協した現実を受け入れようとする心の動きから発生するものと理解されている。
 最後に個人的達成感の低下は、無力感を感じることである。理想はあっても、現実には達成できないと諦め、失望してしまう。
 バーンアウトは3つの側面が人それぞれ、様々なグラデーションで分布しているもので、あるところから急にバーンアウトするものではない。理想と現実のギャップは竹馬のようなもので、理想が一歩先にいったら、現実がついていく、小さい歩幅であれば、理想に進んだり、現実に戻ったりできるが、一旦大きく離れてしまうと、がっちり掴んだまま離せなくなり、いつかは落ちてしまう。

 僕自身も情緒的消耗感は学生時代から感じていたし、それが気持ちいいと感じることや、達成感に繋がることもあった。だが、仕事を始めてからは脱人格化を感じることが増えてきた。
うまく回っている時は愚痴で済むことが多かったが、だんだんと卑屈になってきたように感じる。それでも当初は「この仕事は俺にしかできない」なんてことを家族に言ったりしていたが、家事や仕事でミスが見つかると無力感に苛まれ、次第にバーンアウトの大ピンチグラフが大きくなっていった。

 まさに僕は今バーンアウトしている。どうすればいいか、まだ見つかっていない。巷では、嫌われる勇気、ノーと言えるようになること、瞑想、よく眠るという解決策が溢れているが、それは一時的な緩和であり、本質的には無意味であると本書は書いている。確かに、僕も一度バーンアウトで1週間休んだが、今回のように再発している。

 では、どうすればいいのか。この文がヒントになると思った。

「若いころの私は、大学教授になれば労働者としてだけでなく、人として満たされると思っていた。教授という仕事がアイデンティティになり、天職になると思っていたからだ。そのような期待がかなう仕事はまずないが、大学教授になればそれがかなうと当時の私は信じていた」(引用)

 まさに僕もそう思っていた。今の仕事が自分が人類の進化に最大限貢献できるものであり、使命だと思っていた。この仕事をするために人生の半分以上を必死にもがいてきた。仕事だけでなく、大切な家族もできた。家族の幸せを守りながら、人類への使命を果たすという理想はあまりにも高くなりすぎ、家事、育児に追われる日々や夢のある仕事と周囲から言われる仕事の現実はついて来れなくなった。

 これまで何度か転職しようと思ったが、探す軸はいつでも自分の使命を果たせるかどうか、没頭できるかどうかだった。そして、今より良い仕事が無いからと今の仕事を続けてきた。
でもこれは恐らく間違いだろう。今の仕事は僕の全てではないし、労働が僕の尊厳ではない、ということを理解しなければならない。

 これは大きな転換点である。どんどん高くなっていた竹馬を小さくする必要に気づいたが、人生の半分以上をこの竹馬の上で過ごしてきた僕が飛び降りるのが怖いことも知ってほしい。アイデンティティなんて勝手についてくるものだと思っていたのに、それを捨てるのが怖い。

 まだ、この先は分からない。だが、なぜ燃え尽きたのか、今自分がどういう状態であるかはよく理解できた。僕が何であり、どんな幸せな人生を送るかを考えないといけない。答えは、もうぼんやりと見えているが、形にするのを避けている。